どうしようもないから感情とか考えたこと書くしかない今
「自分を肯定できない問題」
根強いですよね。なんなんですかね、このしぶとさ。革命よ、おこれ。
私はこれでもだいぶ持ち直したほうなのですが、それでも、ブランクがあるとやっぱり「自分なんて」となって、そっちに雪だるま式でおひれはひれがついてしまう始末。
今はただ、やりすごしてる。
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失敗したし、挫折したし、それを受け止めることができなかったの。
常にあたまやこころにこびりつくわけじゃないけど、成果に結びつかないことが山ほどあった。私は結構がんばってきたなと思う。がんばった先を見据えないで、ただやってみる、ということを、全くできてなかった、とういわけじゃなかった、とは思う。試して試して試して。自分のおしりに火をつけてみることだってしたし、交通費をかけて足を運んだ。それなりに技術を習得した、でも今ね、それが何も、自分を助ける術になっていない。
そこが問題なのだ。粘ったらよかったか?だが私のやっていたことは、
「いつまで粘ればいいかわからない」し、私は「結果がでなくてもずっと粘っていられるほど、がまんづよくない」のだ。
イベントだって、その場かぎり。
続けていくことの尊さを、ただ実感したい。私の、NPOで体験した1年間は、ただ「続けて」いたことが財産だった。「続けて」いたからこそ、戦略が甘くても、全然どうにかなったし、経験値やある程度筋肉になったのだ。
でも筋肉は、鍛えてないと衰える。
・「デザインやりたくないの?」と聞かれると、やりたくない。って答える。何がいやだって、永遠に答えがなくて、でも1回1回どこかで区切りをつけなきゃいけないし、チームプレイじゃないのがいやなのだ。そして区切りをつけたものが、途端に古くなってカスみたいな何かになるからいやなのだ。
・「PC触りたくない」っていっておきながら触ってる。そう、細かく裁断すると、「好きなときに好きなように触る」ならいいが、「PCの前で拘束される」のが何よりいやなのだ。
・「作るのがすき」っていいながら作ってない。手を動かしてるときは楽しくて夢中になるが、作り終わったあと、作ったものと対面してるときが結構、かなり苦痛なのだ。これは結局一生つきまとわれると思う。そう、次の行動につながらないのだ。
何かを作り出し続けることはけっこうつらい。
そう思うと、続けていけることってなんだろなと思う。
「やってみたいな。」
って純粋な、ピュアな、思いを、確かにあったその想いへ記憶をたどることはできる。
今も、その想いは、各方面で消え去ってるわけではない。
でも元々やってみたかったと思ってたはずのものを、今はもうやりたくない。
かっこよくつくれる誰かに作ってほしい。
(=「かっこよく」作れない自信がある)
その認知が何よりも今強くて、そこから逃げ続けてる。恐ろしくて仕方がないのだ。
かっこよくってなに?
かっこよくかっこよくって考えるとけっこうきゅうううううううって身が狭まるんだけど、
かっこよくって、あれか、「頭んなかがスパーク」「からだがしびれる」てことか。
それは専門家に任せたや。
しびれる スパーク